第4回 静岡県教育研究のつどい 大口久克氏講演

11月26日(土)島田「おおるり」で「第4回 静岡県教育研究のつどい」を開催しました。

記念講演「子どもの『すること』にも、『しないこと』にもいみがある

 北海道せたな町立大成中学校教諭 大口久克 氏

2011_1126大口久克氏1、はじめに

 大学時代に金八先生を見て、熱血漢の教師像を描き、一生懸命にやることがよい教師像だと思ったが、いざやってみると誰もついてこなかった。教師は子どもの内面に分け入って、子どもの今考えていることを理解し、子どもたちが今したいことをさせる方が伸びていくことに気付いた。だから「教師は刺身のつま」「縁の下の力持ち」でよい。

2、北海道のいま

 北海道はいまとても窮屈な状況になっている。管理職も窮屈だと感じているだろう。例の、政治資金規正法違反事件以来、服務規律調査がなされた。勤務時間中に組合活動をしていないか、分会会議を開いていないか、組合活動にファックスや電話など使っていないか、あるいはしているのを見ていないかを調査している。不適切な学校には会計検査院が監査にはいり、給与の返還を求めている。

 運動会のために早く出勤して準備をし、終わったので管理職ともども早く退勤した。それを、退勤時間だけを問題にして「不適切だ」と指導する。教育行政がそういう立場でいることをさびしく思う。行政だけを悪く言うつもりはない。不正は不正だが、なぜこういうことをしなくてはならないのか、教育関係者全体がそれをわかってくれないのが残念だ。

 また、その労組が特定政党を支持し、組合員の思想信条を無視して、ある政党のために支出することの問題性、そして政党が労組に頼り切ることに対する問題。なかなかそれが,教職員全体に理解してもらえない。その体質が改善されないことを残念に思う。お詫びの文言には「子ども、保護者、組合員に対して申し訳ない」とあったが、組合員ではない教職員にも多大な迷惑がかかっているのに。

3、学力問題 教育課程作り

 教育課程とは、教科内外の教育計画の全体のことである。教育課程表はその一部にすぎない。生徒会活動、地域との結びつき、学級懇談の持ち方など、学校教育のありかた全般の問題が教育課程である。だから全国一律の教育課程はあり得ない。学校独自のものがあるはずだ。

 中教審、文科省は「先行き不透明の未来」「厳しい未来」だからこそ「生きる力」をつけなければという。一部の富める者を生み出し、多数の者が苦難を強いられる、そんな厳しい未来社会を乗り切るための学力だという。「社会が四角ならあなたも四角になりなさい」と言っているようなものだ。

 そんな社会ではなく、一人一人が自分らしく生きる社会が、私たちの描く未来社会像だ。そして、自分に合った未来社会を作るために学力をつけることを私たちは学校の使命だと考えている。それでこそ子どもたちは力を発揮するものなのに。

 「自分らしく、などというのは甘い」と批判する人もいる。自分は厳しさを乗り越えてきたのだという自負があるのだろう。「自分は社会をどうのこうのしようなどと思っていない、ただ生徒に賢くなってほしいのだ」と。きっと、社会をつくるとか変えるなどという姿勢に対して、青臭さとか高慢さを感じるのだろう。しかし、子どもたちの学びをいきいきさせたいという思いは共通している。共同できるはずだ。文科省が悪い、教育委員会が悪いのではなく、教師の共通の願いに依拠して、教育課程作りをしていきたいものだ。

4、学校教育の原点

 35歳の時に、「教師は45歳からが勝負だ」と先輩教師から聞いたことが心に残っている。地域民主教育交流研究会などに参加し、自分なりの指標をもち、子どもをつかむ力をつけたいと思っているころだ。その先輩のいう「あと十年」とは、子どもをつかむためには、子どもがどんな父と母のもとに生まれ、どうやって地域に育ったかなどを知らなければならない。地域に住み着いて一定の年齢にならないとわからないということなのだろう。目の前にしている子どもの背後にある人間関係や地域、そこからのメッセージを理解することなしに、子どもをつかむことはできない。

 しかし、その根ざすべき地域がなくなっている。地域の隣の高校が募集停止したが、残念なことだ。私たちの要求は、少人数学級。統廃合せずに30人学級にすればいいのに。地域から学校がなくなれば多くの生徒が自宅から通えなくなる。青年にとっても大きな問題で、青年の心情を傷つけることになる。学校には懐かしさが必要だ。それが勇気を与える。しかし、そのなつかしさを統廃合によってなくしてしまってよいのか。青年が社会から大切にされていると思えることが社会保障の原点である。人が生きる、育つには懐かしさがひつようである。原風景を問うことが大切だ。

5、大阪秋桜高校との出会い

 3年前に、大阪の通信制の秋桜高校の先生方と出会った。そのたんたんとした報告に分科会場がしっとりした。「子どもたちが変わりたくなって変わっていくところが学校」「明日も教師でいたいと思えるところが学校」だと。「変わりたくなって変わっていく」という言葉に、子どもの発達に関する深い洞察を感じる。外部からの強制ではなく、内部に変わりたくなる力があって初めて変わるものだ。

 秋桜高校の先生方の原点は、解雇撤回闘争。学校がなくなったら、子どもたちを救うことができなくなる、と議論したという。そして通信制の学校が必要だと結論をだしたのだという。

 卒業文集を読ませてもらった。貧困で救いを求めてきた生徒に、真摯に向き合って卒業させたという。その生徒が「初めてここで先生を信用できるようになった」と書いていた。今まで、どんな先生、大人と付き合ってきたのだろうか。人を信用できるようになることは自分自身に対する自信になるはずだ。

2011_1126講演会16、危機を希望に

 この10年は、アメリカがその覇権主義をテロで示した10年だったということができる。人類の文明が人類の文明を脅かす。3.11もそのひとつだ。

 アメリカがほしいままにするのか、国連憲章のもとづく平和の国際秩序をつくりだすのか。暴力の文化か平和の文化か。いま、どちらを選ぶのかが問われている。平和の対比で戦争を思い起こすが、暴力と平和の対比が必要だ。平和の文化のひとつ憲法九条である。

 九条改悪に反対する高校生は沖縄などに多い。しかし、賛成の高校生は進学校に集中しているという。彼らの学びの姿勢が集約されているような気がする。憲法が変わろうとも、自らがイラクに行くことはないと考えているのかもしれない。学力をつけるとはどういうことか、あらためて考えなければならない。

 旧教育基本法の「国民全体に対して直接責任を負って」が削除された。法律さえ決めれば、不当な支配ではない、と。大阪市長選挙で橋下が劇場型の選挙で勝った。彼が教育基本条例を決めれば不当にならないということになる。二度と戦前の様な社会にしたくないと旧教育基本法ができた事情を知らない無謀である。

 私の勤務校の今の校長はいい校長だが、「1学期お疲れ様、2学期も子どもたちのことをよろしく」とあいさつした。「だけどなあ」と、時の校長にかみついた教師がいた。「校長のために仕事をしているわけではない」と。これこそが校長のためではなく、子どものための教育である。「国民に直接責任を負っている」とは、子どもに直接責任を負っているということ。法律とは違っていても変わっても、「子どものため」は条理として教師の内部に残っている。条理法として残っている。

 大田堯氏が「教基法改正に賛成」だと書いていた。教育に関する法律はいらない、条件整備法だけでよい、という主張だった。教育の目的さえも法律で決めるべきではない、と。旧教基法に目的が書いてあるがあれは仕方がなかった、国策に利用されないために書いたもので、ほんらいはいらないのだという。権力は、政治は教育に介入すべきではない。

7、子どもの現実

 札幌で単身赴任中のこと、事務所のビルの下に真っ黒い車が来て反共宣伝を始めた。「全教、共産党は解散せよ。偏向教育をやめろ」などと演説している。格好いい30歳の男性の次に若い青年が原稿用紙を読み上げはじめた。句読点がはっきりしない。句点ではちゃんと休めよ、と言いたくなった。彼らの論理の展開やその思想性よりも、彼のような青年が右翼に依拠しなければならないのはなぜか、彼らの文化的環境や成育歴にも思いをはせなければならないと思った。

 教師が良かれと思って一生懸命やっていることが、やればやるほど子どもたちにとっては、自分のできなさ加減に辟易して、実は、自分自身にバツをつけていることになっている。短時間ではついてこれない生徒もいるのだ。

 秋葉原で加藤青年が起こした事件を思い起こす。かれは「高卒以来負けっぱなしの人生」とネットに書きつづり、犯行におよんだ。彼は県内トップの高校を卒業した。多くが国立大学に行く高校だ。その校長へのインタビューで、「彼は300番だった」と言っていた。人のプロフィールをまず順番で示すとはどういう高校なのだろう。

 パンドラの箱の話がある。最後に残ったのは希望だと。その意味がわからなかった。調べると最後に残ったのは「予知」だという説もある。未来を予想する力、つまり予知がなかったから希望をもてるのかなと考えると何となく合点がいった。加藤青年は、自分自身の将来を予知してしまったのかもしれない。そしたら絶望しか残らなかった。新自由主義、自己責任論に陥って、他殺へいってしまった。

 悪さをしない子が普通の子ではない。だれだって暴れるし、矛盾もある。「いい子ばかりなら学校なんていらないよね」。

8、子どもの貧困

 以前は「子どもと貧困」だったが、「子どもの貧困」と固有名詞化された。湯浅誠さん中心の年越し派遣村はまさに政治災害だが、日比谷公園で暖を取りながら北上してきている二人の兄弟がいた。出身地のK病院の待合室に身を寄せるようにしていた。なぜ、その医院に?彼らはこの診療所に小さいときにかかったことがあった。その記憶からここは自分たちを追い出さないと思ったという。署名用紙が置いてあり、私たちの要求と同じ要求を掲げているような、そんな雰囲気の診療所だった。看護師さんや医師が命を守ることに奮闘している。それを覚えていて身を寄せたのだろう。その診療所は兄弟に「受容」というメッセージを与えていた。学校もそうでありたいものだ。

9、いじめの問題

 子どもたちはジグザグの成長をたどる。いじめ自殺が北海道でも多い。ビルから飛び降りたり、滝川で首をつって子どもが自死した。「何やっているんだ」という抗議が殺到した。

 いじめ問題を加害者と被害者という二項対立でとらえてよいのだろうか。人間どうしだから、様々なトラブルが発生する。それがいじめかどうかは判断が難しい。それを単純化してしまうのではなく、なぜそういう関係になってしまうのかをていねいに解きほぐしていく、私たちにはその力量をつけることが必要ではないか。

 滝川の時、「なくしてほしいのはいじめっ子ではなく、いじめそのもの」という声が上がった。いじめた生徒を出席停止にして排除するのではなく、「いじめをしなくなれば豊かな人間関係を作れるのに」というメッセージを子どもたちが送っているととらえなければならないと思う。

 文化祭で劇を作りたいと子どもたちが言い出した。いじめをテーマにするという。脚本係をきめて、子どもたちに任せて作らせた。そのストーリー。いじめの中心は学級委員をしているリーダー。先生がいじめ調査をしていじめが発覚し、呼び出してすごい剣幕で怒る。首謀者は白状するが、いじめられていた生徒は許さない。

 「オレ以上の傷を負ってもらわなければ…」「自殺に追い込んだという呪縛に縛られて苦しめ」と結局飛び降りて自殺してしまう。生徒の考えたものだから、そのまま演じた。いじめはダメだと口で言うのは簡単だが、劇作化して、それを演じて、血肉化していくことが大切だと思った。

10、作られた教師像からの解放

 教師受難の時代である。最近の新採者が明るくにこやかにはきはきあいさつしているのが気になった。自分らしさを横において社会的に作り上げた教師像に沿って演じている感じがした。

 教師を目指す大学生に講義しているが、「先生は生徒の誰でも好きになれますか」と質問する学生がいる。教師という立場に立った時の私たちにそれができるだろうか、自分の意にかなった生徒は好きになり、沿わない子どもは嫌いになるのはおかしい、と考えてしまうのだろう。押し付けられた教師像を描いているのかもしれない。それよりも、人間として、一人のおじさんとして向き合えばいいのに。自分に合う、合わない生徒もいるのは当然のことだ。~しなければならない、こうあらねばならないというとらわれからの解放が必要だ。

 一方で教師は、生徒に「しなければならないことがたくさんあると教えなければならない」と思わされている。生徒指導部長がたくさんきまりをつくる。「職員室に入るときは、礼をして失礼します、と言う。出るときは振り返り失礼しましたと言う」と。私は「それだけでいいの」と皮肉っぽく質問するが…。

 90年代後半、黒磯で生徒が若い女性教師を刺殺した事件が起きた。「教職員が結束」して、「心を一つに」して、「毅然と」生徒を指導するべきだ、とよく言われる。しかしその中で黒磯の痛ましい事件が起きた。まさに「窮鼠猫をかむ」だったのではないか。刺された女教師も、「足並みを乱さないように、甘く見られないように」縛られていたのだろう。生徒は、「ナイフを見せてもひらまなかったので刺してしまった」と証言している。「ひるむ姿を見せず毅然と」「厳しさ」を要求されて身動きを取れなくされられていた女性教師も、「窮鼠」ではなかったか。

 「私だけでなく全職員で言ってください」と言う教師がいるが、老若男女、自分らしくさまざまな形で生徒を指導すればよいのに。一番苦しんでいるのは指導する側の教師かもしれない。生徒指導とは何か、を考えなければならない。

2011_1126講演会211、弱い教師だからこそ見えたもの

 私も窮地に陥ったことが2回ある。生徒が荒れ、父母からもバッシング、二人が不登校。甘いからだと批判された。今すぐ何かをせよ、と迫られた。その時に荒れの中心の生徒は小学校2年生からの付き合いだった。柔道教室での付き合い。中学の時に担任したが、彼はたばこ吸う、いじめをする、校舎は破壊する。付和雷同的に追従する生徒も多かった。辛い時期だった。新聞を見ると求人広告を見ていた。無意識に早く辞めたいと思っていたのだろう。彼は、人間関係を動物的に感じていたようだ。弱いとみれば暴れ、殴ったり、服を破ったり。私は意外だろうけれど柔道3段。ねじり伏せることもだきたが、それをしたら彼は刃物を持ってきただろう。夢の中では、柔道技で投げ飛ばしていたけれど。

 彼にとって破壊と暴力はどうしても乗り越えなければならない発達上の課題だったのだ、と。破壊という形で目立つこと、暴力でしか人間関係を作れないことに。そういう人間もいるのだ。そうせざるを得なかったのだ、と。彼との付き合いで教わった。

 久しぶりに彼と会うと、高校に行きたいという。通信制高校を紹介して、私の家で願書を書いた。どうして高校に?と聞くと、中卒と高卒ではやることが違うという。肉体労働した経験から、高卒は屋根の下で仕事ができると知ったようだ。組合を作りたい、どうしたらよいのか、と聞くこともあった。社長と折り合いが合わないのだと。私が紹介して道労連に入った。そして結婚して落ち着いて葬儀屋になった。葬儀のノウハウを身に着け、結局葬儀社の社長になる。口がうまく、商売上手。この四月に、東日本大震災のボランティアに行ったと連絡があった。そのことを学校で話をさせてくれ、という。

 私は実は学校では道徳教育推進委員。全校道徳の名のもとに彼が話をする機会を作った。写真を見せながらリアルな話をしてくれた。葬儀用品は仙台が中心だが、取引先のご主人が津波にのまれてしまっ た。そこに米などを持って支援に行ったのだと。橋の上に1億円もする船が乗っていたり、墓地のなかに車が流れ込んでいる写真に子どもたちはびっくりしていた。率直な生徒は、それを「どう思いましたか」と質問する。彼は「墓石が売れるな、と思った」と答えていた。葬儀関係の話もしてくれた。いろいろな葬式に立ち会った。その中で、いくら地位が高くてもあの世には持っていけない、どのように生きていたかということが大切だと考えるようになった、と。15歳の時 に気が付いてほしかったな、と私は思ったが…。

 何百という忘れられない葬儀を経験した。母親が幼子をひいて死なせてしまった葬儀が悲痛だった。

 その最愛のおじいちゃんが亡くなったときに悲しみが初めて分かった、と言う。担々と棺を焼くところまでは職務としてやっていたが、焼く段階になって、「おじいちゃんありがとう」と号泣したという。

 彼との関係が途切れなかったのは、感情的に許せないことはあったが暴力でつながらなかった、力で押さえつけなかったことだろう。だから30歳を過ぎても人間的につながっていけたのかなと思う。力でねじふせ柔道技で投げていたら関係は終わっていただろう。

12、「甘やかし」と「甘えさせ」

 「甘やかし」と「甘えさせ」とはちがう。僕がやっていたことは「甘えさせ」だったんだなと確認して安心した。なんだか肩の荷が下りた気がした。甘えさせとは、おかしいことはおかしいと人間的な要求を投げかけながら、子どもたちのしていることを何らかの意味あることとして受け止め、否定的言動をする子に対しても、その中にまっとうに生きたいという深い要求があるということを前提として向き合うこと。それが、優しいまなざしになるのではいか。

13、弱いから強い

 ある人は、教師に向いていないと言われ、彼の教師としての課題は迫力をもって生徒に迫ることだった。さきほど紹介したT君も含めた悪ガキと対峙している場面に何度も出くわした。しかし彼は、迫力ではない対峙の仕方で生徒たちと接していた。クラスで流しソーメンをやったり、「電子を見る」など、いろいろくふうして授業を作っていた。すると子どもたちが食らいついてくるようになった、と。彼は、自分が弱いという課題と向き合った。その結果、「弱いから強いというのかもしれない。自分は迫力がないから楽しい授業を提供するということが必要だった。整然とした授業ではなく、楽しい学び、価値ある学びをめざすことができた」と言えるようになった。寡黙で弱くて教師に向いていないと言われた彼こそ、最も教師に向いているのかもしれない。

14、不屈性

 21年前に組合作りに奮闘した。組合が「日教組」にはいるというのでそれに反対して、檜山教職員組合を作った。時代の先を読むと先駆性と、節を曲げないという不屈性は必要である。しかし、不屈性とは、他のものを排除することではない。苦渋の選択を迫られ、日教組に残らざるを得なかった人たちもいるのだ。私たちこそがまっとうな組合であり、あちらの組合は理解が薄いのだというのではなく、彼らの中にある、教師としての願い、人間としての願い、生徒の成長を願う共通の部分を見てとって、彼らとも共同することを念頭に置くこと。それがこれからの連帯を強めるはずである。排他的ではなく親和的な不屈性を。

 人間は失敗するものだ。失敗するときがあるが何かのためにがんばりたいといつか思えるように成長していく。排他的なものの見方ではなく、子どもの味方に立ち、同僚教師はもちろん、管理職、教育行政とも、教育の条理・道理の部分では共同・連帯していく。さまざまな教育関係者と共同連帯して、子どもたち成長を励ます、そのためには親和的な不屈性をもっていたいものだ。

 子どもたちを励ますような、教師が自分らしい、人間らしい教師でいていいんだ、と思えるような議論を作っていきたいものです。

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